社長ブログ 2021.03.09
【柱のキズ】
思い起こせば、実家の柱にも、父親が残してくれた記憶があります。
今回大規模リフォームの現場で、お施主様の希望で、古い柱に残されたお子様の
成長記録の背比べ跡が残されることが決まりました。
現場に出向いて、聞いていなかった現場の様子に、びっくり。
昭和の時代には、よく目にしたものです。小学生時代は、まさに竹の子のように、背が伸び、私も、経験した成長の記録としての柱のきず。懐かしい思いがあります。
ご家族団らんのリビングルームの角柱に、これからずうっと、目にすることになります。
柱のキズは、おととしの5月5日の背比べ。
ふと、考えると、『おととし』となっており、少し興味が湧き、調べてました。
なぜ、おととし なのか。昨年の背比べでないのか。
理由があるようで、調べたら解りました。
実はこの疑問を解くカギは、作詞者である海野厚の経歴に隠されているようです。
海野 厚(うんの あつし/1896-1925)は、静岡県豊田村曲金(現在の静岡市駿河区)の出身。7人兄弟の長兄。旧制静岡中学卒業後、早稲田大学に入学するため、地元の静岡を離れ一人上京。
童話雑誌「赤い鳥」に投稿した作品が北原白秋に認められ、海野は童謡作家となります。都会の生活にも慣れ、俳句や童謡の世界に没頭した海野は、病弱だったこともあり、1919年を最後に地元の静岡には帰郷していないようです。
弟は元気に暮らしているだろうか?
実家には3人の妹と3人の弟がいました。中でも17歳年下の春樹は、海野にとって特別に可愛い存在だったという。しばらく帰っていない地元で暮らす可愛い弟。
もう2年も帰省していないが、弟は大きくなっているだろうか?元気に暮らしているだろうか?そんな切ない思いが童謡『背くらべ』の歌詞に込められている。
そのような理由で、 『おととしの 背比べ』となっているとの事でした。
世界の民謡・童謡 引用させていただきました。
http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/seikurabe.htm